豊洲市場の土壌汚染問題(その2)
建物地下に盛土がされていないということに端を発した「豊洲市場移転問題」が
石原慎太郎元都知事の参考人招致が予定されるなど混迷を深めてきました。
一連の流れから何が問題なのか考えてみました。
現在の問題点は以下の2点と思われます。
1.なぜ、いまだに高濃度の汚染が残っているのか?
2.だれが、このような土地への移転を決めたのか?
<1.高濃度の地下水汚染>
この土地には土壌・地下水汚染があることがわかっていたもので、市場移転のために
安全性に配慮した万全な汚染対策を行ってきたはずです。
対策措置としてはについては下図のように2mの土を入れ替え、その上に2.5mの盛土を行い、
更にアスファルト・コンクリートで完全舗装をし、地下水については浄化をした上に遮水壁で
外部に漏れないような措置をとっています。
これだけの対策措置を行えば、地下水が噴出してくることはない予定でしたが、建物下に
肝心の盛土がなわれておらず、有害物質を含んだ地下水が地下ピットに漏出したものです。
(出所:東京都中央卸売市場HP)
通常、これだけの対策措置を行えばたとえ汚染物質が地下に残存していても地表に噴出して
大きな問題になることはないと考えらえます。
問題は東京ガスが平成19年に行った汚染対策措置が不十分であったことではないでしょうか。
東京都との「豊洲地区用地の土壌処理に関する確認書」ではAP+2mについて環境基準以下
とするとし、これを完了したとしていましたが、その後の調査で環境基準の4万3千倍もの
ベンゼンが検出されるという事態になっています。
なぜ、東京都は対策措置の完了状況についてきちんとした検証ができなかったのでしょうか?
盛土がなされていないことは確かに問題ですが、汚染対策がなされていれば有害物質を含んだ
地下水が漏出することはなかったでしょうから、これは枝葉の話で、それよりも、
だれがどのように当時の汚染対策の完了を確認したのかのほうが問題です。
東京都は当時の検証データを公開してその経緯を明らかにすべきでしょう。
<2.移転を決めたのはだれか?>
正式には平成13年に東京都が築地市場の豊洲地区への移転整備を決定したことになっています。
しかしながら、これは形式的な決定であり、実はそれより以前に移転が事実上決定されていました。
築地市場の歴史は下表のとおりで、1990年代半ばごろには他へ移転するほかはないのではという
方向性が出ています。
(出所:東京都議山田忠昭「時の話題」H25.3.15)
移転先は豊洲とは決まっていませんでしたが、築地市場は7万坪の敷地であり、
これを同じ面積以上の敷地を確保できる場所は都心湾岸部では豊洲以外にはありません
でしたから、豊洲移転は既定の路線だったといえるでしょう。
現に平成2年には都が「豊洲・晴海開発整備計画」を策定し、両地域を関連付けて再開発
していこうという方針が出ています。
平成2年といえばバブルの真っ最中で、「東京湾ウォーターフロント都市軸」として
湾岸工場地帯を商業・住居・レクレーション施設を加えて大規模に用途転換しようとしていた
時期でこの計画の中にはこの地域に「市場機能の立地を図る」と明記されています。
1990年代の都知事は鈴木俊一氏(~95年)、青島幸雄氏95~99年、石原慎太郎氏
(99年~2012年)と変遷しています。
正式決定の平成13年12月の都知事は石原氏ですが、移転先決定への地ならしはそれ以前の
都知事の時代から行われていたのです。したがって、今回の問題で石原氏一人に移転決定の
責任を負わせるのはやや酷であろうと思います。