延べ1万3,000人、5,200社が参加する建設と不動産業界のセミナー・情報交換会「REB1000社の会」。これまで各界の著名人や経営者が登壇し、業界の最新動向やトピックスを取り上げてきた。

その場で何が語られたのか、セミナー参加者だけではなく、広く読者に向けてアーカイブとして紹介する。

第1回目の今回は、2019年7月のヒューザー元社長の小嶋進氏の登壇だ。

小嶋進氏 撮影=リビンマガジンBiz取材班

あれから13年、耐震偽装事件のヒューザー元社長が語る!「今だから話せる耐震強度偽装問題の真相とその後」

講師:元 株式会社ヒューザー 代表取締役 小嶋 進 氏 

第57回 REB-1000社の会 講演会にて

プロフィール

ヒューザー元社長 小嶋進

1953年、宮城県生まれ。仙台、東京で不動産会社に勤務。1982年に恒和不動産株式会社を創業し、何度かの社名変更を経て、2001年ヒューザーとなる。同社は、広さを起点にすべてを発想するという独自の開発手法で、100㎡を超えるマンション分譲では6年連続首都圏ナンバーワンとなったが、2005年に販売物件の構造計算書に偽造があった問題で渦中の人となった。

「構造計算書偽造問題」とは

2005年11月17日に国土交通省が、千葉県にあった建築設計事務所のA一級建築士(当時)が地震などに対する安全性の計算を記した構造計算書を偽造していたことを公表したことに始まる一連の事件。当初、耐震強度の偽装は関連する企業との組織的犯行と見られていたが、公判ではA建築士(当時)による個人犯罪と結論づけられた。

小嶋進氏 撮影=リビンマガジンBiz取材班

小嶋氏

私は、2005年の構造計算書偽造問題を発端に、誰とも話すことなく拘置所に329日間入っていました。「何か悪いことをしたのか?」、入った理由は全然わかりませんでした。正直なところ、今でもわかりません。ただ一つ「世の中は不条理で成り立っている」ことはわかりました。

20歳で東京にやってきたとき、私は先物取引の飛び込みセールスをやっていました。「こんな人を騙すような仕事はやりたくない」と言おうものならば、上司に「やります」と約束するまで逃がしてもらえないような会社でした。

ある日、部長が課長を殴る傷害事件が起こって、上司がいなくなりました。その隙に社員寮から抜け出したのです。

その後、不動産会社で仕事を始めました。リクルート発行の「住宅情報」誌の創刊責任者を務めた幸田昌則さんは「無名でお金持ちが1番だ」と仰っていましたが、私は「有名で無一文で犯罪者」です。我ながら気の毒な話です。マスコミに日本を代表する悪者に仕立て上げられたのですから。

まさか詐欺罪で逮捕されるとは、全く考えていませんでした。

2007年、元建築士A氏が建物の地震などに対する安全性の計算を記した「構造計算書」を偽装していたことが発覚。当時、偽装を命じ事件の首謀者と言われたのがヒューザーの小嶋進氏。小嶋氏は、国指定の検査会社や自治体が改ざんを見抜けなかったことを指摘し、「国の監督不行き届きに問題がある」と激怒する姿が世間をザワつかせた。

小嶋氏

私が証人喚問で声を張り上げる映像は、何度も繰り返し報道されました。その結果、私は国に対して怒りを爆発させている人物だと思われるようになりました。しかし、実際私は国指定の検査機関イーホームズの藤田社長に対して怒鳴っていたんです。

騒動がもとで第三者破産申し立てによりヒューザーは倒産。小嶋氏は逮捕され、懲役3年、執行猶予5年の有罪が確定した。現在は、東京大田区の弟が代表を務める賃貸管理会社の代表。主に管理物件の電気工事を担当復帰している。当時、失った宅建資格を、今は取り戻している。最近、力を入れているのが、太陽光発電。その理由は『社会貢献していきたい』からだという

木村建設について

一連の耐震偽装について、A元建築士はヒューザー・シノケン・木村建設から建設コストの削減を強要されたことが原因であり、鉄筋量などについて指示があったと主張した。木村建設元東京支店長は、証人喚問で、これを否定するも、木村建設社長は、粉飾決済による建設業法違反、後に「偽装を知りつつマンションを引き渡した」として詐欺容疑で再逮捕されている。

小嶋氏

ヒューザーのマンション建設を担った木村建設の木村社長は私の恩師とも言える存在です。私がバカな対応をしなければ、木村建設は安泰でした。

検察は、私を詐欺罪に問うためには、木村建設を血祭に上げる必要がありました。

事件後、12年ぶりに小嶋氏が木村氏に再会。木村建設があった熊本を訪れた。事件前、10年にわたりヒューザーのマンション建設を担っていた木村建設。

工期を大幅に短縮するドイツ新工法を導入し急成長、熊本県最大手の建設会社になるが、事件発覚後、2週間で突然破産に追い込まれた。

事件が発覚した2005年11月17日。4日後のその月の決済予定だったが、銀行は貸付金の回収ができなくなる恐れがあるとして預金を凍結。木村建設は不渡りを出し、翌月破産した。

小嶋進氏 撮影=リビンマガジンBiz取材班

小嶋氏

銀行が(預金を)凍結しなければ、(木村建設は)破産に追い込まれなかったでしょう。このときの銀行の対応を不服として、木村建設は裁判を起こしますが、2年経過し長期化することを恐れた銀行側が17億円を支払うことで和解が成立します。その17億円のほとんどは被害者の補償にあてられました。

この事件を聞いた(建設業界の)友人から「何も心配いらないよ。耐震基準は0.3、条件によっては0.1でやってきたから。耐震補強はうちでやる」とのことでお願いし、4000万円支払いました。

調べると、川崎大師の(マンションの)構造計算書が出てきました。どこが弱いのかはプロならチェックできます。耐震基準は0.3で、1981年以前の旧耐震基準と同じですが、すぐ崩壊するとは考えられません。今も学校を含め、1981年以前の建物で耐震補強が終わっていない建物はたくさんあります。

これに対して、国はどうして新耐震基準の0.5を切った建物の建て替えをしなければならないと短絡的に決めてしまったのか。

構造計算書を偽装したA元建築士は、最初に偽装したのがヒューザーの大田区池上のマンションだと国会で証言しました。そして、木村建設の東京支店長から圧力を受けたと。どちらもウソでした。最初に偽装したのは、他のデベロッパーとゼネコンが建設した物件だったのです。

彼は、結局、偽装ではなくて国会で嘘を証言した偽証罪で逮捕されました。偽証罪でなければ50万円の罰金で済んだはずです。また、本来ならヒューザーと木村建設以外に責任を追及されるデベロッパーが出てきていてもおかしくなかったでしょう。

偽装を見破ることができなかった検査機関イーホームズは、当時1ヶ月で1,300~1,700件の審査をしていたようです。全国4拠点で検査官はたった2名しかいない体制です。まったくできるわけがない。

病院の清掃係がなぜか病院の院長をやっているようなものです。なぜ許認可権限をイーホームズに与えたのか理解しきれません。

破産に応じて支払った額

小嶋氏

なぜ、私がここまで悪者に仕立て上げられてしまったのか?

私は、自分に遊びが足りず、真面目過ぎたのではと後悔しています。

騒動の中では、私が国交省に行って、偽装のもみ消しを頼んだことになってしまいました。実態は、居住中のままでも耐震改修技術のある大手ゼネコンの紹介を依頼したことに知り合いが声をかけてきて、それに付いていく形で懇意にしていた議員秘書さんと一緒に行っただけでした。

当時、私はプライベートジェットで韓国から戻る途中、沖縄に足を運ぶ予定だったのです。そのまま沖縄に飛んで行っていれば、東京に不在のため国交省に行くこともなかったでしょう。中途半端変に真面目すぎたのですね。

このときの子会社の自家用機は1億2,000万円で売却されました。私の子会社のキャッシュ2億7,000万円とあわせた3億9,000万円から、業務報酬と不当配当などで半分以上の2億円が破産管財人に持っていかれました。

ヒューザーの破産手続きでは、50億3,000万円のうち、34億5,000万円を破産配当として支払い、3億9,000万円が管財人報酬等へと消えました。会社以外に私個人も破産しています。もろもろ合わせると55億円近くを支払ったことになります。

小嶋進氏 撮影=リビンマガジンBiz取材班

何十億円も失って、有罪判決を受けたのです。

何を間違えたのでしょうか?

私が役人に怒鳴ったからでしょうか。いいえ。

私の持つ魂そのものが間違えていたんじゃないかと思っています。

父からは「正しいと思うことを最後までやるのが男じゃないのか?」と言われて育ちました。その教えが染みついた私の性格が、今回の事件で裏目に出てしまった。もし、周りと協調すればいいという育て方だったら違っていたかもしれません。

 
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