(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)
「真珠記念日」は、1893年7月11日に、ミキモトの創業者である御木本幸吉夫妻がはじめて真珠の養殖に成功した日を記念して制定された。
御木本幸吉は1858年に、現在の三重県鳥羽市にあたる志摩国鳥羽町に生まれた。商才に恵まれた祖父・吉蔵の影響を受けた幸吉は、少年時代から家業のうどん屋以外にも青物商(青果店)を始め、実業家の頭角をあらわしつつあったそうだ。
23歳となった幸吉は、当時17歳の士族出身のうめを妻に迎え、30歳ごろから真珠を生むアコヤ貝の養殖に取り組みはじめる。養殖を成功させる過程では、アコヤ貝をただ養殖するだけでは真珠を産まないことから、生態や真珠がつくられる過程も研究されていった。こうして資金不足や赤潮被害などの困難を乗り越えながら、約5年の歳月を経て日本ではじめての真珠の養殖に成功したのだ。
1896年に真珠の養殖で特許を取得した幸吉は、妻・うめを亡くしながらも、家族親戚の協力を得ながら事業を展開していく。そして、1899年には東京に「御木本真珠店」を開設。日本における宝飾産業の土台を作っていった。
御木本幸吉は、養殖技術を発展させ、良質な真珠の大量生産も成功させるだけでなく、ニューヨークやロンドン、パリなど海外にも進出。御木本真珠のブランド化にも力を注ぎ、世界経済にも影響を与えた。こうして、精力的に会社を発展させていった幸吉は、96歳で天寿を全うした。
日本一の地価を誇るミキモト本店近く
「御木本真珠店」が開業したのは、東京都銀座裏の与左衛門町だった。その後銀座内で何度か移転し、現在の銀座4丁目5番地5に落ち着いた。
ミキモト本店がある中央区銀座4丁目5番地は、地下鉄の出口からも近く、銀座のシンボルとも言える和光の時計塔や、キリスト教専門書や児童書を豊富に取り揃えている老舗書店、高級ブティックLANVIN、そして山野楽器など、老舗店舗が立ち並ぶ。なかでも、ミキモト本店の隣にある山野楽器は毎年日本一の公示地価を誇るスポットだ。その価格は、なんと坪単価で約1億8,347万円というのだから驚きだ。
東京銀座に訪れた際は、日本で最も土地が高い場所で、御木本幸吉の努力の結晶ともいえる美しい真珠を眺めてみるのもいいだろう。
(敬称略)