(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)

1987年(昭和62年)12月、石川県鹿西町(ろくせいまち、現:中能登町)にあった「杉谷チャノバタケ遺跡」の竪穴式住居跡から日本最古の「おにぎりの化石」が発見された。これを記念して鹿西町がこの日を「おにぎりの日」と制定した。

鹿西町で発見された「おにぎりの化石」は既に炭化しており、黒い石のように見えていたことから弥生時代中期のものと考えられている。確かに一見では岩のようだが、よく見ると米粒が分かる。

発見が報じられると、弥生時代から既におにぎりを作って食べていたのかと、日本最古のおにぎりは地元のみならず日本中を沸かせた。

それから、同町は「おにぎりの里」としてさまざまなイベントを開催するなどして町おこしを行っている。記念日の日付は「鹿西」の「ろく(6)」と、毎月18日の「米食の日」から取ったのだという。

人々の価値観の変化と不動産という考え方

弥生時代の中期になると稲作が盛んに行われるようになっていたようで、1943年に発見された静岡県の登呂遺跡の水田は、杭や板で補強され、畦(あぜ)が作られていたという。竪穴式住居が12戸、水田が7万平方メートル、高床式の倉庫も2つ発見されており、農業を主軸とした集団生活を送り、一つのコミュニティーが成り立っていたことを物語っている。収穫した米は蓄えられており、その量によって貧富の差や上下関係のようなものが生まれていた。そしてそれぞれのコミュニティーが協力したり、戦ったりしながら国が作られていった。

このような状況では、それぞれの国にとって、そこに暮らす人々の生活を支える水田なども含めた領土の大きさは非常に重要なものになっていった。つまり決まった土地に定住し、水田を耕し米を作って蓄えることで安定した生活を得ようとしたこの頃が「不動産」という考え方の始まりだともいわれ、土地に対して執着を持ち始めたことが分かる。

ちなみに弥生時代には日本国内におよそ30の国があり、その中で最強の国が卑弥呼率いる邪馬台国であったという。

そう考えると、米は日本という国の礎(いしずえ)を築くうえで、非常に重要な役割を担ってきたといえるのではないか。

みんな大好きなおにぎり。シンプルなおにぎりも米の甘味を味わえて美味だが、中に入れる具や形を工夫すれば楽しみ方も無限大だ。毎日何気なく頬張っているおにぎりも、弥生時代から食べられていたのだと思うと、2000年も前から受け継がれている日本を代表する食文化ということになる。

何だかとても誇らしいではないか。

 
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