現在の帝国ホテル外観 (画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)

1867年の6月8日は、アメリカを代表する建築家フランク・ロイド・ライトが生まれた日である。

アメリカ合衆国ウィスコンシン州に生まれたフランク・ロイド・ライトは、地元の大学を中退したのちシカゴに移り住んだ。ライトは2つの建築事務所での経験を積んだ後独立し、1893年26歳の時に事務所を構えた。

ライトが設計する建築の特徴のひとつに、1906年につくられたロビー邸に代表される「プレイリースタイル」というものがある。これはアメリカ郊外の大草原の風景と調和するような建築形態のことである。ひさしを深く、屋根を低くすることで水平性が強調され、アメリカの住宅建築の新しいスタイルとして評価を受けた。

ライトは日本でもいくつかの建築作品を残している。そのひとつが、帝国ホテルの本館だ。1909年までの間、アメリカで精力的に活動しながら数々の名作を残していたライトであったが、私生活の度重なるスキャンダルが災いして、アメリカ国内での仕事が激減していた。そんな最中、1913年ごろに旧知の仲であった帝国ホテルの総支配人・林愛作から新館の設計を依頼されたのだ。

帝国ホテルは1887年に設立された老舗ホテルで、東京都千代田区内幸町にある。新館設計のために訪日したライトだったが、設計の度重なる変更や素材の選定など、あまりにも完璧を求めたために施工期間が長期化し、予算も着工当初から約6倍にまで膨れ上がってしまう。経営陣との対立を起こした結果、ライトは建設途中でアメリカへ帰国。一番弟子であった遠藤新が指揮にあたり、1923年にようやくライト館が完成した。

建物をブロックごとにジョイントでつなぎ合わせる技法で建物に柔軟性を持たせたり、スチーム暖房を全館取り付けたりと、耐震・防火にこだわって設計されたライト館の防災性の高さは、完成直後の関東大震災で証明された。周囲のほとんどの建物が倒壊し燃えていた中で、ライト館は大きな損傷もなく建っていたという。

その後戦争で大きな被害を受けながらも存続を続けたライトが設計した帝国ホテル本館であったが、客室数の増加の必要に伴い、1964年に解体が決定した。現在、ライト館の玄関部分は愛知県犬山市の博物館明治村に移築され、当時の面影を垣間見ることができる。

帝国ホテル周辺で始まる大規模都市開発

さて、ロイドが礎を気付いた帝国ホテルは今も国際都市・東京が誇る顔として世界中の要人を迎え続けている。それとは別に、これまでにも何度か建て替えの噂が立っては消えており、不動産業界でも注目を集める存在だ。中でもライバルのホテルオークラが建て替え、高層化を進めており、「次は帝国か」という声は日増しに大きくなっている。

昨年12月には三井不動産グループのリートが帝国ホテルの隣に位置する大同生命ビルを取得。三井不動産グループは帝国ホテルの株を多数取得しており、大同生命ビルを含めて周辺の大規模再開発への布石と報道されている。

今年4月には近隣で大型商業施設、日比谷ミッドタウンも開業し、あたりが活気付いている。不動産業界も固唾を吞んで、行く末を見守っている。

 
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