1905年(明治38年)5月27日、日露戦争において東郷平八郎率いる日本海軍連合艦隊がヨーロッパのバルト海から回航した大国ロシアのバルチック艦隊を迎え撃ち、全滅させた。小国日本がロシアに勝利するという、いわゆる日本海海戦での快進撃は当時、奉天会戦の勝利(陸軍記念日)とともに記念すべき日と言われた。後に「海軍記念日」として祝日とまでなったのだ。

しかし、1945 年(昭和20年)を最後に、第二次世界大戦で敗戦国となった日本は、海軍記念日は廃止された。3月10日の陸軍記念日も同様の道をたどることとなる。

祝日としての海軍記念日は廃止になったが、現在でも5月27日には神奈川県横須賀市にある記念艦「三笠」では、日本海海戦記念式典が毎年開催されている。

三笠は日露戦争中、連合艦隊旗艦として、東郷平八郎らも乗り込んでいた。

海上交通の守り神ともいわれて信仰を集めている香川県にある金刀比羅宮(ことひらぐう)においては、この日に「掃海殉職者慰霊祭」が行われている。形は変わっても、現代においても継承されている記念日といえよう。

(画像=リビンMagaZine Biz編集部撮影)

横浜には海軍と縁が深い船が、現在も壮大で堂々たる姿を見せてくれている。山下公園に係留されている「氷川丸」だ。

氷川丸は昭和5年に作られた12,000トン級の巨大な貨客船は、アメリカのシアトルと日本を結び、多くの人や荷物を運んでいた。喜劇王チャップリンも、食事のクオリティーの高さを理由に、氷川丸に乗船したといわれ、当時の人々の憧れの船でもあった。

しかし、わずか10年あまり経った昭和16年には戦争の影響で、シアトル航路はなくなり、氷川丸は海軍に徴用されて病院船に姿を変えた。

それからは病院船として28回航海をし、戦争で負傷したり病気になったりした3万人もの兵士たちを運んだ。氷川丸と同時期に作られた大型船は爆撃に遭い、沈没してしまい、氷川丸だけが生き残った。

終戦後は引き揚げ船として多くの人を日本まで運び、大型船としての役割を果たした。

昭和28年になるとシアトル航路が復活し、戦前のように貨客船として航海を続けた。通常、この大きさの貨客船は15年ほどで役目を終えるのだが、氷川丸は戦争中の過酷な任務に加え、30年もの間、航海し続けたと船舶関係者の間では有名だ。

そして昭和35年に役目を終えた氷川丸を解体するか係留するか議論されたが、多くの人々の声により、氷川丸は係留されることとなった。

(画像=リビンMagaZine Biz編集部撮影)

幾多の苦難を乗り越えて、その姿を現代にも繋げた氷川丸。海の安全と平和への願いを胸に、眺めてみるのも良いかもしれない。

住みたい街で1位に輝いた横浜

さて、横浜といえば今年2月に発表された「住みたい街ランキング2018関東版」(SUUMO集計)で、1位になったことで注目を集めた。

交通の利便性が高いことに加えて、商業施設や商店街があり幅広い層から票を集めたという。港のある街というイメージも高評価に大いに寄与したに違いない。

戦前から港町は先取の気風に飛んでおり、異文化が衝突し、新たな魅力が生まれるものだった。

港やそこから生まれる特徴を街の魅力アップに活用する動きは増えそうだ。

 
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