(画像=リビンMagaZine Biz編集部撮影)

5月19日は、「ボクシングの日」だ。1952年のこの日、フライ級のプロボクサーである白井義男が、日本人初のボクシング世界チャンピオンに輝いたことに由来する。

現在では、プロスポーツとしてだけでなく、ボクシングの動きを利用したエクササイズやトレーニングが女性の間でも人気になっている。歴史をふりかえると、ボクシングの起源はなんと紀元前までさかのぼるという。その始まりには諸説あるものの、紀元前600年の古代オリンピックで競技に採用されるほど長い歴史を持つものの、死傷者が出るほどの危険な競技であったという。

日本におけるボクシング人気は、1920年代にプロボクサーの渡辺勇次郎が、日本初のボクシングジム「日本拳闘倶楽部」を東京・目黒に設立したことに始まる。

渡辺は1928年のアムステルダムオリンピックで監督を務め、ウェルター級の日本人選手をベスト8に進出させた。その後もハワイや上海など、世界各地への遠征も盛んに行われたという。しかし、第二次世界大戦によって、多くのプロボクサーが出征を余儀なくされたことで、全ての興行が中止。そのなかに白井義男もいた。

戦争が終わった1945年、無事に終戦を迎えられたものの、当時の白井は25歳となっていた。過酷な軍人生活での栄養不足や腰痛に悩まされ、選手としての復帰は絶望的な状態だった。しかし、GHQの一員として来日し、運動生理学の研究者であったアルビン・ロバー・カーン博士との出会いが、白井をトップ再びレベルのプロボクサーにまで引きあげることとなる。

カーン博士の考案したトレーニング方法は科学的で、論理的なものだった。肉体を作るための食事の支援から、筋力トレーニング、パンチ技術の指導により、白井はスタミナとスピード、攻撃力と防御力を瞬く間に身につけていく。こうしてカーン博士の指導を受けた。

白井は世界フライ級王者であるダド・マリノに挑戦し、判定勝利。ついに世界王座を獲得することなる。試合が行われたのは、東京都文京区にあった後楽園球場。4万人もの観客を熱狂させ、戦後の復興に生きる人々に勇気を与えた。

認知症を患ったカーン博士を自宅で看取る

白井を世界に導いたカーン博士は白井の強力なパンチ力と倒れても起き上がるガッツと、その裏腹に秘めたクレバーさに惚れ込み自らセコンドを買って出てサポートにあたったという。日本チャンピオンに輝いた白井のために、東京都北区内に土地を購入。そこに一軒家を建て、白井にプレゼントした。白井とカーン博士はこの家でともに生活した。晩年、カーン博士が認知症を患ってからも生活の面倒を白井が見続け、最後を看取るまでに強い絆で結ばれていたという。

超高齢社会を迎えた日本では、自宅での看取りを望む人が増加している。バリアフリー工事への補助金や在宅医療に対する保険報酬の改正など、取り組む課題は多い。加えて、終末期の介護を担う家族には、肉体的、経済的な負担も大きいため、社会的な議論が必要とされている。また、高齢者を対象とした部屋探しを専門にする不動産会社現れるなど、不動産業界全体を通じても、超高齢社会に適したビジネスモデルの模索が続いている。

(敬称略)

 
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