5月17日は「石原裕次郎デビュー作の日活映画『太陽の季節』の公開日」である。「太陽の季節」は、石原裕次郎の2歳年上の兄・石原慎太郎による短編小説が原作の映画だ。

裕福な家庭に育った若者が酒や賭博に溺れ、性に乱れる様子を通して、既成の倫理に反発しながら生きる若者たちを表現し、「太陽族」という流行語を生み出すほど大きな反響を呼んだ。

石原裕次郎は1934年、汽船会社重役の父・潔と母・光子の次男として兵庫県神戸市に生まれた。父の転勤で幼少期を北海道小樽市で過ごした後、神奈川県逗子に移る。青春時代はヨットや模型飛行機作りに情熱を注いだ。その後、慶應義塾高校に入学するも、17歳の時に父が急死。怪我によってバスケットボールも断念することになり、放蕩生活が始まる。

慶應大学法学部に進学したものの荒れた生活は続き、俳優を目指しながらもオーディションでは不合格の結果に終わった。しかし1956年、当時22歳で遊び人だった裕次郎は、兄・慎太郎の推薦もあり主人公の友人役として抜擢され、出演することになる。その堂々とした佇まいは脇役ながらも圧倒的な存在感を放ち、瞬く間に注目を浴びた。

湘南の海(画像=リビンマガジン Biz編集部撮影)

撮影当時、映画のロケ地には、裕次郎が9歳の頃に移り育った逗子の町や海岸をはじめ、放蕩時代の遊び場であった銀座、上野や東京駅、三浦半島の油壺が使われた。湘南・逗子の海で鍛えた腕を生かして、ヨット技術の指導者としても制作に関与したという。

「太陽の季節」の後に制作された姉妹作であり、裕次郎の本格出演作品となった「狂った果実」でも逗子や葉山、藤沢、鎌倉など、湘南エリアの名所がロケ地となっている。後の妻となる女優・北原三枝(石原まき子)との共演もみどころで、今なお多くのファンの心に焼き付いている。

裕次郎の愛妻家ぶりは有名で、世田谷成城にある石原裕次郎邸には妻・まき子のためのメイクルームも作ったという。

52歳という若さで他界した石原裕次郎。スクリーンに映るフレッシュでヤンチャな裕次郎の姿を、彼のルーツとも言える62年前の湘南エリアの光景と共に、今一度鑑賞してみるのもいいだろう。

(敬称略)

 
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