9月18日は社会福祉家「糸賀一雄が亡くなった日」である。

障害者教育に一生を捧げた糸賀一雄は1968年の本日、心臓発作によって亡くなった。54歳だった。

糸賀は、京都大学を卒業後、滋賀県庁に入庁する。

戦後の混迷期である1946年、県庁時代に知り合った障害者教育の草分けとも言われる田村一二らと共に知的障害者のための教育機関である「近江学園」を創立する。障害者と寝食を共にし、教育していかなければいけない、という田村のかねてからの願いを叶えた形だ。

その後も、「落穂寮」「信楽寮」「あざみ寮」などの施設を設立していく。こうして、障害者を受け入れていく中で、重度の障害を持つ子が多く入寮してくる。重症児に対しての取り組みが近江学園内で始まっていき、1963年に、重症心身障害児施設である「びわこ学園」を創設する。

障害者教育にその一生を捧げた糸賀は、1968年滋賀県庁での講演中、持病だった心臓発作で倒れる。道半ばの突然の死だった。

障がい者手帳 (画像=写真AC)

糸賀の著名に『この子らを世の光に』がある。

この言葉は、憐れむべき存在である障害者に光を当てる、という意味ではない。光を発する存在になるような社会を作る、という意味で使われている。

昭和初期の障害者は労働力、兵力として期待されず、社会参加の道は閉ざされていた。光ることのできない存在というレッテルを貼られていたのだ。糸賀自身も障害者を子に持つ親であったため、その辛さ、苦しみを、よく分かっていたのだ。

現代ではどうだろう。

多くの住宅がバリアフリーになってきたとはいえ、まだまだ生活しづらい環境である。自治体では、障害者住宅と呼ばれる自治体運営の集合住宅があったり、住宅のバリアフリー化に補助金を出したりしている。

しかし、民間でこういったサポートをしている会社は少なく、公的支援も足りない。高齢者向け住宅は乱立しているにも関わらずだ。糸賀の夢見た社会の実現まで、まだまだ道のりは長い。

敬称略

 
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