7月18日は実業家「リチャード・ブランソンの生まれた日」だ。

リチャード・ブランソンは多岐にわたって事業を展開するヴァージン・グループの創始者である。

しばしば、伝説の経営者として語られるブランソンは、1950年の今日、英国ロンドンに生を受けた。


リチャード・ブランソン (画像=depositphotos)

彼が手がけた最初のビジネスは、イギリスでヒッピーブームが起こっていた時代に遡る。18歳のブランソンは『Student』という雑誌を創刊。社会にメッセージを発信する若者として、マスコミからも注目された。

その後、趣味で始めた中古レコードの通信販売が大きな成功を収める。

当時の音楽レコード業界は大手レコード会社の独占状態が続いており、価格が高かった。

そこに、価格を低く設定した通販が受け、爆発的に売れたのだ。

この通販事業の資金を元手にレコード制作を行う「ヴァージン・レコード」というレーベルを創設した。

先述した雑誌発行の際に、数々のロック・ミュージシャンと出会えたこともレコードレーベル設立に際し、影響を与えたという。

このヴァージン・レコードは、大手レーベルでは相手にされない独特の価値観を持ったアーティストの発掘を行っていく。

その最たるバンドが、セックス・ピストルズであろう。

若者に熱狂的な支持をされつつ、過激な反体制を歌うバンドとして警察にもマークされていた。

ブランソンは、音楽業界では飽き足らず、航空業界にも参入した。

イギリスの航空業界を独占していたブリティッシュ・エアラインとの激しい競争をする。資金捻出のためにヴァージン・レコード売却を決断。

豊富な資金で知名度を上げていき、世界中の空港に就航するまでに至った。

ブランソンの開拓精神はとどまることを知らず、携帯電話事業、飲料水事業、鉄道、金融など次々と異業種に参入していった。

ブランソンは28歳の時に、カリブ海に浮かぶ無人島のネッカー・アイランドを18億円で購入した。

プライベートアイランドとして、無人島に水道や電気まで引き、リゾートに開発したのだ。

誰でも貸切ることが出来るが、その金額は5日間で2,500万円、庶民には手が届かない金額だ。

ネッカー・アイランドには、ブランソンの自宅もある。

数々の事業に、無人島の購入など、自分の思い描いたことを実現する行動力を評価する声もあるが、豊富な資金があったからこそ、というやっかみ混じりの声もある。

しかしブランソンは事業だけで無く、危険を顧みない冒険家としても活動していることから、ただの

事業家ではないのは間違いない。

これから彼がどんな行動を起こすのか楽しみにしているひとは多い。

敬称略

 
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