7月17日は「石原裕次郎の命日」だ。
昭和を代表する銀幕スターは1987年の本日、52歳で肝細胞がんのため、この世を去った。
昭和を代表する銀幕スターのイラスト (画像=フォトライブラリー)
紫陽花忌と呼ばれる石原裕次郎の命日、あじさいを好んだ石原裕次郎にちなんで付けられた。
毎年、17日は裕次郎の眠る横浜市鶴見区の総持寺で石原プロモーション総出の墓参りが行われている。
石原裕次郎は日活映画の大スターとして人気を博し、身長182cm、股下90cmと日本人離れした体格で「タフガイ」と呼ばれていた。しかし、実際は、ケガと病気の多い人生だった。
スキー場での接触事故によって右足首粉砕複雑骨折、悪性の舌下腫瘍、大動脈瘤などだ。
世田谷区成城には石原裕次郎の自宅がある。今現在も妻のまき子さんとお手伝いさんが住んでおり、地下1階、地上3階建ても住宅は、延べ床面積692平方メートル、209坪もある。
この裕次郎邸には、こだわりが詰まっているという。
廊下には絵画コーナーがあり、ヨットが大好きだった裕次郎は、乗っている感覚の味わえる娯楽部屋を作ったという。
さらに、裕次郎が隠れて設計していた奥さん仕様に施したメイクルームもあるという。
まき子さんへの愛情が見てとれる。
スターの周りにはニュースが多いようで、裕次郎邸の建設中には、古墳時代の土器が発見され、話題になったこともある。
北海道小樽には、裕次郎が幼少期を過ごした所縁の地であるため石原裕次郎記念館がある。
しかし、施設の老朽化により2017年8月をもって閉館する。
来場者数も年々、減ってきていたようだ。当時のファンも高齢化している。
数々の武勇伝が語り継がれる石原裕次郎は今年で没後30年になる。各メディアでは、特別番組を行う予定だ。
敬称略