7月3日は「通天閣が完成した日」である。

1996年放送の朝の連続テレビ小説『ふたりっ子』には、落ちぶれた演歌歌手オーロラ輝子が登場する。頭の上には派手なかぶり物、大阪のシンボルである通天閣が乗っている。たどりついた大阪の劇場で温かい仲間に恵まれたが、体は病魔にむしばまれており、かつてのヒット曲「夫婦みち」を通天閣で歌い上げると息を引き取る。当初は短い出番のはずが、なぜか視聴者の関心を呼び演じた河合美智子さんは紅白歌合戦にも出場することになった。

やはり通天閣には演歌、浪花節が似合う。

大阪の良い時も悪い時も見守ってきた通天閣は、1912年の今日完成した。

実はいま私たちが見ている通天閣は2代目である。初代通天閣は、第二次世界大戦中の金属類回収令によって取り壊されてしまったのだ。


賑わう新世界 (画像=写真ACより)

初代は、今の通天閣と形が全く違った。

フランスのエッフェル塔を模して造られており、凱旋門の上にエッフェル塔の上半分が乗っているイメージだ。

当時のこのあたりは1903年に開かれた第5回内国勧業博覧会の跡地があった。

跡地を利用して、通天閣とルナパークという遊園地が建設されたのだ。

さらに、この地域の名称を“大阪の新名所“として今も通天閣の眼下に広がる「新世界」と名付けた。

新世界に隣接する天王寺公園に大阪市立動物園が開業し、飛田遊郭が開業する。日本随一の歓楽街と称され、戦前の大大阪(だいおおさか)の中心となった。

しかし、戦争に入り通天閣の解体や空襲により、新世界も壊滅的な打撃を受けた。

戦後になり大阪のシンボルであった通天閣の再建の話が有志から持ち上がると、「通天閣再建委員会」が組織された。そして、現在の通天閣が1956年に完成した。

しかし通天閣は以前のような活気までは戻らなかった。

再建当初は物珍しから多くが押し寄せ年間入場者が155万人をこえていた。しかし、光化学スモッグなど環境汚染の影響で、入場者数も日に日に落ち込んでいき、どん底期には20万人を下回っていたという。

活気を取り戻したのは、バブル経済の時だった。

都市部では、たくさんのファッションビルが建設され、さらに当時の家や街並みなどの面影を色濃く残す新世界が若者には新鮮にうつり、引きつけた。

その影響で、入場者数も増加していき入場者数も100万人へと回復していった。

大阪名物の串カツも再興の一端を担っていた。

先述の新世界を舞台にした朝ドラ「ふたりっ子」で、全国的に新世界と串カツの知名度が広がり、雑誌、テレビ番組で取り上げられるようにもなった。

新世界は今でも昭和の懐かしさを残し古い家も多くのこる。

訪れると、タイムスリップしたような感覚に陥る。今では外国人観光客も多くなり、賑わっている。

これからも大阪のシンボルとして愛され続けていくのだろう。

余談だが、オーロラ輝子にはモデルとなった人がいるそうだ。

その人、叶れい子さんを検索してみると…

さすが大阪だ。

 
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