6月30日は「ビートルズが日本武道館で来日初公演した日」である。
公演前日の29日、羽田空港に4人組が到着した。あの法被姿はしゃぐ写真はとみに有名だ。
来日公演は1966年6月30日から7月2日まで計5回おこなわれた。
ビートルズの銅像 (写真=pixabayより)
公演当日は、3,000人の警察官を配置し、厳重な警備が敷かれた。
武道場である日本武道館で外国のロックバンドが公演することに対しすさまじい反発があったからだ。右翼団体が街宣車で「Beatles Go Home」と書かれた横断幕を降ろし、辻演説が始まる。ビートルズ公演に行ったものは退学と生徒に通知した高校もあった。
ポール・マッカートニーとジョン・レノンは、ともに若くして母親を亡くしている。
ポールは、16歳の時に乳がんで、ジョンは18歳の時に目の前で車に轢かれ亡くしているのだ。
2人がロックンロールと出会ったのは、母親の死が契機になっているとも言われる。
その死の寂しさを紛らわすため、夢中でギターを掻き鳴らしたという。
その後、2人は出会い20世紀最大のコンビが誕生した。
ビートルズの楽曲「ペニー・レイン」と「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」では、その過ぎ去りし思い出を歌っている。
「ペニー・レイン」は、ポールが作った楽曲。リバプールに実在する通りで、ジョンの家の近くにあった。ポールはジョンの家に足繁く通っており、当時の情景や通りの美しさを歌にしたのだ。
ペニー・レーン (写真=pixabayより)
「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」はリバプール郊外にある戦争孤児院をモチーフにしてジョンが作った曲だ。ジョンの父親は船乗りで家にはほとんどいなかった。
母親もジョンの世話はせず、伯母さんに育てられたという。
共に故郷を回想した曲になっているが、曲調は全く違う。
「ペニー・レイン」は、明るく、非常にポップな仕上がりになっている。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」はどこか感傷的なメロディから終盤に転調して、様々な楽器による重層的な曲に変わる。ビートルズのサイケデリック期を代表する1曲である。
ストロベリー・フィールズ (画像=写真ACより)
しかしながらビートルズを住宅にこじつけるとすれば、解散後のジョンがヨーコと暮らしたニュー・ヨークのダコタ・ハウスが最も有名だろう。マンハッタンの高級なマンションで、19世紀に作られた歴史的な建築物のダコタはかねてから有名人が多く住んだ。ジュディ・ガーランドやロバータ・フラックも住んでいたとされる。
ここに1973年からジョンは住んだ。複数の部屋を購入して、それぞれをスタジオや客間などで使っていたというから、日本でいうマンションのイメージとはかけ離れた建物なのだろう。
別居期を除いてジョンはここで家族と過ごした。後にミュージシャンとなった息子ショーンなど家族に愛情を注いだ。幸せな家族の肖像がそこに見える。
ファンにフランクに接することで知られていたジョン。
ダコタの前で待っているファンにも気軽に写真やサインに応じていたという。
1980年12月8日も同じように。
ダコタを訪れるファンは今も途絶えない。
敬称略