6月24日は歌手「美空ひばりの命日」である。

 

昭和を代表する歌手は1989年の今日、間質性肺炎による呼吸不全によって52歳という若さでこの世を去った。

 

美空ひばりは9歳で歌手デビューし、瞬く間に人気者になった。以降は常にスターとして注目される生活だった。そんな美空の心境を反映したのか、生前に残された全517曲の中で故郷・横浜について唄ったものは多い。


美空ひばりの銅像 (画像=写真ACより)

1967年発表の「あの人の…」という曲では、

横浜に生まれた女が愛に溺れる姿を描いている。

 

横浜の町に生まれ

横浜の町に育ち

愛し愛され 悩み苦しみ

涙ぬぐう 涙ぬぐう 涙ぬぐう 浜の女 涙ぬぐう 夜の港

疲れ傷つき 我と我が身を 抱きしめる 抱きしめる

 

美空自身は、恋愛に対して不器用だったといわれる。

しかし25歳の時、日活映画の大スター小林旭と結婚。

小林を妻として支えるために、家庭に入り、歌手の仕事をセーブするようになる。

この時、初めて生活人としての美空が存在したのかもしれない。

 

しかし、美空の歌への執着は凄く、歌いたい欲求に苦しんだという。

 

結局、小林との結婚生活は2年ほどで破綻。

未練があった小林も「ひばりを解放してやれ」と諭され離婚を決意する。

 

以降は歌手・美空ひばりとして芸に生きた人生だった。

 

美空の息子・加藤和也によると、目黒区内の自宅でほとんど家事をすることなく身の回りのことは家政婦が担っていたという。加藤は子どもながらに、家事などできないほどのスケジュールで活動する母の多忙さを理解していたというが、美空は息子のために時間を割けないことに対する申し訳なさを感じていた。その罪滅ぼしの意味もあったのだろうか、加藤の誕生日は盛大に祝う習わしがあった。時には、専門の俳優を自宅に呼んで特設のヒーローショーをしたこともあったとテレビ番組内で加藤が振り返っている。


美空ひばりが晩年過ごした自宅、今は美空ひばり記念館に (画像=リビンMagaZine編集部撮影)

自宅の一部は、美空ひばり記念館として一般開放されており、今も全国からファンが連日押し寄せている。

 

敬称略

 
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