■書名:小暮荘物語
■著者:三浦しをん
■出版:祥伝社
■定価:600円+税
三浦しをんによる小説『小暮荘物語』は、小田急線世田谷代田駅から徒歩5分、築年数は定かではないが相当経っている木造の2階建てアパート「小暮荘」が舞台だ。薄い壁と手入れが間に合わない節穴のある天井が住民の「生」を筒抜けにしている。
1階に住む大家の小暮老人は、本来の自宅を離れ、小暮荘で一人暮らしを始める。80歳を前にして、燃えるようなセックスしたいという欲望を、どう満たすかを考えるためだ。一方で隣部屋の住民、女子大生の光子の部屋は、複数の男が出入りし、それぞれ関係を持っている。光子の真上の部屋では、会社員の神崎が畳をはがし、節穴からその様子を覗いている。またその隣の部屋では、花屋に勤める繭と交際している伊藤が、3年前に消息を絶った繭の元交際相手に押しかけられていた。
集合住宅には個々の「生」が集い、そしてその建物の構造から、住民同士は否応なく他人の「生」を感じ取る。それらは日常というかたちで自分の「生」にも取り込まれていく。
女子大生の光子は覗かれていることを知っているし、真上で覗く神崎もそれを知っている。これらは否応なく繰り広げられた他人の「生」を受け入れた奇妙なひとつの帰結である。
光子と壁一枚を隔てた大家の小暮は、悶々と己の「生」と、そして「性」の帰結を求める老人である。小暮は末期がんに侵された親友が放った最期の言葉「かあちゃんにセックスを断られた」に突き動かされていた。
老人がセックスをするのは難しい。それも燃えるような、だ。肉体的な問題もあるが、もっと大きな問題は、相手をどうするか。妻にそれとなく聞いても「いやですよぉ」とやんわりいなされてしまうのだ。
小暮老人は、2階に住む伊藤に助言を乞う。
それまで交流があったわけでもない伊藤を選んだのは、「なにを話せばいいのかわからない。しかし、なにを話せばいいのかわからないほど関係性が希薄な相手だからこそ、なにを話してもかまわないのではないか、という気もした。」からである。
本書は、つかず離れずの住民間の関係性が「生」と「性」の軸から結び付けられ描かれている。今や都会の集合住宅では、住居一つひとつでどのような生活が行われているかを知ることはできない。住民間の交流などないに等しい。ましてや小暮老人が抱えるような老後の性にまつわる悩みなど知る由もない。小暮荘の住民は、壁一枚・床板一枚隔てた先で繰り広げられているそれぞれの「性」を覗き、聞き耳をたて、そしていつぞやその生々しき「生」に手を差し伸べる。
そういった生活が少し羨ましく思う感情はなんなのだろう――。
住民同士が協力する、仲良くする、そんな暑苦しい関係を望んでいるわけではない。前のめりのコミュニケーションではなく、ほど良い距離感だ。日常からこぼれ落ちそうな小さな他人の「生」、しかし壁一枚、道一本挟んだそこにある確かな「生」。手を伸ばせが届きそうなそれに、触れずに生きる現代の不自然さをなにやら感じる。
読了後、近隣住民とのつきあい(というほど大げさなものではないが)を意識して、ごみを出しに行った際、少し大きな声であいさつしてみたが、相手は驚いた表情でこちらを見て無言で会釈しただけだった。