はじめまして。私は、ファイナンシャルプランナーの磯脇賢二と申します。普段は、東京で、中小零細企業の経理の委託事業をする一方で、暇を見つけては、東日本大震災の被災地に足を向けています。あの忌まわしい東日本大震災(以下震災とする)から間もなく6年が経過しようとしています。
復興住宅への移転が進むとか、常磐線が浜吉田から相馬までが開通するといった報道が、テレビや新聞等でされます。確かに『被災地復興』のニュースが流れると安堵を覚えます。いつしか東日本大震災の悲しい記憶が薄れてきたことを実感している人も少なくないと思います。しかし、それはあくまでも私たち“被災地の外で暮らしている人たち”の感覚だということを忘れてはいけません。今も、なお被災地では、狭い仮設住宅で暮らす人々がいます。思うように進まない復興の中で様々な不都合を感じながら日々の生活を送っているという事実を忘れてはならないと私は思います。
私は、震災発生当初よりがれきの撤去をはじめ、被災地に赴くボランティアを東京から石巻市まで送迎をするボランティアをしました。
発生から5か月が経過するころから、石巻市で被災された方を対象とした無料相談会を仮設住宅の集会所を利用して開催するようになりました。無料相談会は弁護士・司法書士・行政書士・税理士・社労士・中小企業診断士・土地家屋調査士・FP・心理カウンセラーなど専門家が横断的に集まって取り組む会でした。行政による支援体制は十分ではなく、被災された市民の方々は、いつ・だれに・どこに・どのようにしたらいいのかわからない状態でした。それものはずです。人生最後で最大のイベントである「死」が突然やってきて、モーゼの十戒に出てくるような10メートルを超える大津波により家も土地も畑も田も車も何もかも一瞬のうちに流されてしまいました。死亡手続きをはじめ、罹災証明・相続登記・公的年金手続き・税金(所得税・法人税・地方税・固定資産税の減免・相続税)・公的保険・民間保険・相続・車の廃車処理・家の取り壊し・自宅の損壊度合いの判定など、手続きしなければならないものはたくさんありました。今となっては、被災された方によりそえたか、どこまで期待にこたえることができたかわかりません。しかし精一杯やったという自負はあります。その事業は、今では、FPと行政書士を中心とする会ではありますが、仙台市と多賀城市で続けています。一時期は気仙沼市・亘理町・南三陸町・仙台市・多賀城市でも行っていました。

地方公共団体は,条例で津浪,高潮等による危険の著しい区域を災害危険区域として指定するとともに,同区域内における住居の用に供する建築物の建築の禁止その他の制限で災害防止上必要なものを条例で定めることができるとされています。(建築基準法第39条)

災害危険区域とは、建築基準法第39条に基づき、津波等の自然災害から市民の生命を守るために、居住の用に供する建築物の建築を制限する区域です。災害危険区域の指定日(平成24年12月1日 )以後は、住宅等の新築や建替え、増築・改築等ができなくなります。
例えば石巻市では、東日本大震災により住居等が全壊又は流出した区域及びその周辺区域内で、市街地の場合、都市計画道路である高盛土道路等から旧北上川等の地形・地物で区域を設定した区域と、離半島部の場合は、津波で浸水被災した地区について、「東日本大震災に伴う石巻市災害危険区域の指定及び建築制限に関する条例」に基づき、平成24年12月1日より災害危険区域を指定し、建築制限を行っています。建築制限がかかると、住宅、アパート、ホテル、民宿、児童福祉施設、医療施設などの居住の用に供する建築物の建築ができません。また、居住の用に供さない建物(倉庫、作業小屋、事務所、店舗など)は、建築することができます。市による用地買収に際して、登記が現在の所有者ではなくその1代前から2代前のまんまというのが結構あり、相続登記をどうしたらいいのか、当事者も悩み、市町村も用地買収にてこずっていたのを覚えています。

次に、最近のニュースで頻繁に聞くようになった被災地における空き家問題について話をしたいと思います。

 
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